2010年9月20日月曜日

ロシオ・モリーナ「石が飛ぶとき」

広い広い舞台。
舞台奥には白いスクリーン。
右手前には石。
左奥には石の山。
袖幕も一文字もなく、照明がそのままみえる裸に近い舞台。


黒いセパレーツ水着、もしくは下着姿のロシオは石の上に横になる。
ワンピースのヘマ・カバジェーロとパンツルックのトレメンディータがうたいはじめる。
やがておきあがったロシオはメタルの床でサパテアードをはじめる。
鳥のような腕の動き。
鳥になりたい石? 飛びたい石?

スクリーンに鳥かご。ふくろう。

舞台奥でシャツをはおる。

カンティーニャス、アレグリアス、ミラブラス。
セーターに膝までのレギンスで踊る。
静かな静かなシレンシオ

椅子にこしかけたまま
最初に横たわっていた石の床をたたく音にあわせて踊るロシオ。
怒濤のサパテアード。

©Luis Castilla/Bienal de Flamenco

スクリーンには女性同士の恋人たち 
それが老婆に 
死んだ雉がつりさげられている

帽子をかぶった男装のトレメンディータがタバコに火をつけうたいはじめる。
ロシオもタバコを口にしたまま踊りはじめる

©Luis Castilla/Bienal de Flamenco

煙も踊る。

歌い手とパルメーラが輪になってのタンゴ。
ここでのロシオは圧巻!
圧倒的な力をみせつける。

光のカーテンの中
少し裾をひきずったスカートをみにつけたロシオと
トレメンディータのデュオ。
アバニコの音は鳥の羽ばたき?それとも鳴き声?





ロシオ・モリーナの実力に異論を挟む者はないだろう。
だが、この「クアンド・ラス・ピエドラス・ブエラン」は評価がわかれる作品だ。

前作「オロ・ビエホ」でみせたような
フラメンコ・フラメンコな作品を待っていた人は
肩すかしをくらったように思うだろう。
確かにロシオは、その抜群のテクニックで、何を踊ってもすごい。
今回はイスラエルの影響をちょっと感じた。
パソをまねるのではなく、文法をまねる、というか、
ちょっとした静止の感覚とか、細かいところにイスラの影をみる。

音楽も中途半端。
音楽がもっときっちりつくりあげていたらまた他の印象をもてただろう。
フラメンコ? 非フラメンコ? どちらでもかまわない。
よい音楽は舞踊を助ける。
ヘマ・カバジェーロの美声とトレメンディータの甘ったるい歌い方も
ギターソロも、もっといかしきれていたら、と思う。

ミニマリズムの、アンチフラメンコとでもいえそうな
コンセプトの舞台づくりと衣装。
水着風は、先日のルベン・オルモのズボンをはかない足同様、
筋肉の動き、身体のこまかな動きをみせるという意味では興味深いのだが
衣装が踊りの魅力を増すことにはなっていない、と思う。
好みの問題かもしれないが。

セビージャの新聞の舞踊評論家は大絶賛しているが
フラメンコ評論家は否定的な意見だ。

誰をも満足させる作品というのは少ないし、
エバ・ジェルバブエナの「ラ・ボス・デ・シレンシオ」初演を思い出す。
ちょっと前衛的な演劇の演出家とテクニック抜群のバイラオーラという組み合わせで
ただのフラメンコ好きにはわかりにくい舞台づくり。
だが、エバが最後に踊るソレアで、私たちを力ずくで納得させてしまったような
カタルシスを感じることは、少なくとも私にはできなかった。

26歳のバイラオーラ。
これからも変貌していくのだろうが、この作品がその人生にどんな意味をもつのか、が、
わかるのはずっと先のことなのかもしれない。



23時からはアラメーダ劇場でダビ・ラゴスのリサイタル。

©Luis Castilla/Bienal de Flamenco

若きベテラン。このアフィシオンあふれる歌い手のすごさを感じさせる舞台。

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