幕があくと暗闇に白い布がうかぶ。
暗闇
うすらあかりにひざまずき後ろ手の3人の男たちが並ぶ
エバは風船をもち舞台奥を歩いて行く
銃声で倒れて行く2人。。。。そして3人目は?
思いがけない衝撃的なシーンではじまった
エバ・ジェルバブエナの新作「クアンド・ジョ・エラ」
市民戦争である日連れて行かれ二度と帰らなかった曾祖父の不在がずっと心の中にあったという彼女の思いを、生きなかった人生を生きてみる試みを、そのままかたちにした作品と語るエバの話をどこかで読んだが、全編を貫く寂しさ、暗さは彼女の狙いそのものだったかもしれない。だが、その暗さが、観ている私たちの中にもある暗い思いと呼応することは、少なくとも私の場合は、残念ながらなかった。
髪を振り乱し、ブトーのようなゆっくりと集中した動きをみせるエバ
上手にあるろくろをまわしつぼをつくるが、それを投げつけ足にまき
下手の粘土の入ったおけの中で踊るエバ
その彼女もろくろの上でゆっくり回っている
©Luis Castilla/Bienal de Flamenco
エバによれば時によってかたちがかわってくるろくろ作りは人生のようなものだから
ということのようだが、いわれなければわからないし、いわれてもよくわからない。
というか映画「ゴースト」を連想してしまった、、、
クリスマスのような明かりがさがってきたフェリア、お祭りのシーン。
粘土のおけがのっていたろくろは回転木馬に早変わり。
フェルナンド・ヒメネスのチャップリン風フラメンコにバンビーノの「パジャソ」を歌う。
メルセデス・コルドバはペペ・デ・ラ・マトラーナが歌ったキューバ風のルンバで踊る。
お祭りの鏡の前にたつエバ。
そしてタンゴ。昔風に結った髪は祖母の影?
ブレリアではヘレスのおばあさんのような振りもみせた
©Luis Castilla/Bienal de Flamenco
エバの踊りはたしかに見事だ。
ただ腕をすっとのばすだけ、そんなささいな仕草にどきどきする
それは腕をのばすという、動作をしているだけではなく
そこに心がこもっているから。
下から上への単なる移動ではなく、
その動きに意味があるから。
エバとエドゥアルドのかけあい(下の写真)は
息をのませるところもあった。
エドゥアルドの、回転のときの顔や腕の位置が美しい。
©Luis Castilla/Bienal de Flamenco
が、次のシーンは一人は足に、もう一人は腕に鈴をつけた上半身はだかの男二人による
闘鶏を模した踊り。
パーカッションのせいか南方の鳥のようにもみえるし、コンテンポラリーというか、民族舞踊風というか。。。フラメンコではないが、面白い。だが、ちょっと唐突に思える。でもきっとエバの中では意味のあることなのだろう。
続くカーニバルのシーンでは羊やヤギのかぶりものをかぶった人たちがファンダンゴを踊る。
その魔物たちを追い払うようにマントンを振り回すエバ
エバの動きの重さに圧倒される
©Luis Castilla/Bienal de Flamenco
赤い衣装を脱ぎ、マントンとともにろくろのそばにある鞄にしまうと
今度はベージュの衣装でセラーナを踊る
すごいフラメンコな瞬間もあるけど
まだこなれていないフラメンコ的ではない動きもあって
彼女に同化できない
©Luis Castilla/Bienal de Flamenco
最後はろくろの上のかたちづくられつつあったものをこわして終わる。
壊されたのは私たちの期待だったかもしれない。
それを踊れば皆が納得間違い無しのソレアをあえて踊らなかったエバ
満員の観客の頭の中に多くのクエスチョンマークを残して去って行ったエバ
もやもやした感情が私の中に残っている
アルティスタの自由 観客とのずれ 伝えることの難しさ